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選挙

  • 「積極的棄権」や「白票」は単なる無意味な愚行ではなく「与党の勝利に貢献する行為」です

    3年前に「白票」キャンペーンが出てきた時に散々批判しましたが今度は「積極的棄権」。呆れかえりますがどれほど無意味か端的に説明しましょう。詳細は以下から。 ◆3年前の「白票」キャンペーンとは? 「白票」に「今の社会を変える力があります」と主張する謎の集団「日本未来ネットワーク」がこの国に突如出現したのは2014年の衆院選の直前のこと。 入れたい候補がいないとき、誰に入れてわからないときは棄権せず、”誰もいないよ!”と言いましょう!その思いを白票に込めて投票しましょう! その声は、きっと政治家達に、権力者達に伝わります。そして彼らはその声に配慮せざるを得なくなります。 などという愚にも付かないお花畑全開の妄想を垂れ流し、その間違いを全方位的に指摘されながらも結局特定もされないまま忘れられていった集団(なお驚くべきことに公式サイトは未だに存在しています)です。 ◆今回の同様に無意味な「積極的棄権」キャンペーン そして今回、この「白票」運動とまったく同様の無意味なキャンペーンが行われています。それが「積極的棄権」という代物。 某思想家が今回の国難突破解散に伴う選挙に対して「こんな選挙などくだらない、そもそもこんな選挙をするのがまちがっている、すべてごめんだ」という意思を示すために「『今回の選挙はどこも投票先がない』『できれば棄権したい』という人々の声を集め、単なる(消極的な)棄権ではない、『積極的棄権』の国民の声として、選挙後に——残念ながら選挙後しかないので——衆院議長に届けたい」と考えて行っています。 キャンペーンには「2017年秋の総選挙は民主主義を破壊している。「積極的棄権」の声を集め、民主主義を問い直したい。」という仰々しいタイトルが付けられていますが、残念ながらそんなことで問い直すことはできません。 なお、このキャンペーンの文中には言い逃れのように「ただし、本プロジェクトへの賛同がただちに棄権を意味するわけではありません。そのような強制はだれにもできません。棄権を望むことの表明というぐらいに考えてください」と書いてありますが、衆院選を直前に控えたタイミングで「積極的棄権」という直接的な用語を用いておきながら「棄権するように扇動したわけではない」としらを切るのであれば、言葉に対する不誠実さは安倍政権と同じ穴の狢と言うしかなく、思想家としてはまさに致命的です。 ◆いったいなぜ無意味であり「与党の勝利に貢献する行為」なのか まず大切なところですが、「白票」にも「積極的棄権票」にも全く意味がありません。「白票」は候補者以外の名前を書いたり判読できない票や棄権票と同様に無効票として扱われるため候補者の当落には一切関係ありません。当然ながらこの世のどこにも単なる棄権票と「積極的棄権票」の違いを見分けられる人は存在しません。 つまりは衆院選において「積極的棄権」を実践してみたところで、それは当人の内面の問題でしかあり得ないということ。「自分ひとりが投票しなくても関係ない」といった消極的棄権と見分けが付かないのはもちろんのこと、単に投票日であることを忘れていたり、週末の楽しみに耽っていた人とも全く見分けることはできません。単に投票率がその人の分低下するだけですが、どの数字からもそうした意思を読み取ることはできません。 そして「白票」や「積極的棄権票」が投票結果にもたらす作用は何でしょうか?それは明確に「与党の勝利への貢献」です。投票率が下がったり無効票が増えれば組織票を持つ大政党が有利になることはこれまでも繰り返し指摘されてきたとおり。 「白票」や「積極的棄権票」が投票率の低下や無効票の増加をもたらすものでしかない以上、確実に大政党の抱える組織票の投票総数に対する割合が増加します。そうなれば小選挙区では言うに及ばず、比例代表でもより大政党の締める得票数の割合は増加してしまうのです。 今回の衆院選でそうした事態になるとどうなるのか?巨大な組織票を抱える自民党と公明党が300議席どころではない大躍進を果たすことになることは間違いないでしょう。 つまりは「解散権の乱用」によって起こされた「大義」なき解散・総選挙に対して「こんな選挙などくだらない、そもそもこんな選挙をするのがまちがっている、すべてごめんだ」という意思を「積極的棄権」によって表現することで、それを行った張本人である安倍政権にさらなる議席をプレゼントするという本末転倒な結果が引き起こされるのです。 当然ながらその際に「積極的棄権」によって投票率が多少下がったとしても、90議席減でも「過半数維持ならば続投」と明言する安倍政権がその程度のことを国民による不信任と考えることはありません。単に続投決定を国民による信任の証であり、国民がもりかけ疑惑への説明を納得してくれた上に自民党の改憲にゴーサインを出したと理解します。 果たしてそれが「積極的棄権」の先に求めているものなのでしょうか?賛同者はもう一度考え直してみるべきでしょう。 ◆単に「署名によって可視化」というのであればあまりにナイーブ 思想家や賛同者らはこのキャンペーンが本当に投票を棄権することを勧めるものではなく、単に「後世の歴史に、こんないい加減な選挙があったが、それに怒った人たちがいるということ」を「署名によって可視化」するためだけのものであると言うのかもしれません。 では、その署名を渡された衆院議長なり細野豪志議員なりが何かを感じ、今回のような茶番が繰り返されることに対して何らかの歯止めを掛ける可能性があると考えているのでしょうか? 正直な話、そこまでナイーブな人はもうナイーブな肉屋がナイーブなロースハムを切っているナイーブな町に行って昼間からウィスキーでも飲んでいるしかないでしょう。 ◆ではどうすればいいのか? 選挙という場で民主主義が軽んじられていて、僕たちが奪われていると考えるのであれば、まずやるべきことは投票に他なりません。でもいったい誰に…と考える人は3年前にも提唱された戦略的投票を試してみることをお勧めします。 典型的な戦略的投票の一例はこうだ。例えば小選挙区で、AとBの候補者がいて自分はどちらも支持していない。棄権をしたくなるが、こうした場合でも、どちらがより支持できないか、どちらがより嫌いかを考える。最も嫌なのがAなら、Aを倒すためにBに入れる。 ほかにも例えば、A、B、Cの候補者がいて、自分はAの候補者を支持しているけれどもとても当選しそうにないという場合。BとCを比較してよりAに近い考え方を持つBに投票する−−これも戦略的投票だ。 (衆院選 投票先に悩むアナタへ…「戦略的投票」のススメ – 毎日新聞)より引用…