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太宰府

  • 【後編】官房長官ごっこもできる「令和」のルーツ、太宰府の坂本八幡宮を訪れてみました

    今年始まった「令和」が生まれた場所はどんなところなのでしょうか。前編では定番の太宰府天満宮を訪れてみましたが、後編ではそこからバスで10分ほどの太宰府政庁跡、そして坂本八幡宮に足を伸ばしてみます。 太宰府天満宮の参拝を終えたBUZZAP!取材班は西鉄太宰府駅に戻ってきました。実際に太宰府が存在した政庁跡と、「令和」の由来となった梅花の宴が開かれた太宰帥・大伴旅人の邸宅の所在地だったとされる坂本八幡宮へはここからバスで5分ほど。 このバスは博多駅に向かうバスと同じもので、乗る時に太宰府政庁跡に行くと伝えると別の列に並ぶことになり、博多駅に向かう人が座席に座った後に立って乗り込むことになります。 もちろんそれがキツいという人には太宰府駅前にタクシー乗り場もありますし、より節約したいなら徒歩でも30分程度です。 バスに乗って2つ目の停留所の太宰府政庁跡で降ります。政庁跡はもう目の前です。 と、その前にバス停のすぐ隣にあるベストマートとふろうに寄ってみましょう。ここには令和ゆかりのパンがあるのです。 こちらがその「梅花の宴」。さわやかな梅のあんを包んだパンです。税別300円。政庁跡散策のひと休みにぴったり。 外側のパンもきめ細かくてほんのり甘みが感じられ、包み込まれた梅のあんもとても上品。温かいお茶と一緒にいただくのがよさそうです。 政庁跡の敷地に入ると目にとまるのが梅花の宴の看板。「令和」を記念して立てられたようです。 太宰府展示館もあるので、歴史に興味のある方はこちらも訪れてみてもよいかも。 太宰府に滞在し、万葉集に歌を残した著名な歌人集団である「万葉集筑紫歌壇」の歌碑があります。 政庁跡の正面に立ってみると、まずはその敷地の広大さに驚かされます。九州一円を統括し、外交や貿易などの対外交渉という重責を担う太宰府は中央政府に準ずる極めて規模の大きな地方機関でした。実際に平城京や平安京に次ぐ大きさだったとのこと。 それゆえのこの広大な敷地。いったいどれだけの人やものが行き交い、大陸からの文化が流れ込んだのでしょうか。想像が膨らみます。 しばらく歩くと正殿跡に。ここは大伴旅人ら太宰府の長官である大宰帥が政務を執り、儀礼や儀式でも最も重要な役割を果たした場所です。 これだけの大きな機関が存在し、「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれる著名な歌人らがいたことを考えると、やはりこの場所を島流しの果ての辺境と考えることは適当ではありません。 さて、政庁跡から北西に向かって坂本八幡宮を目指します。 この辺りは公園としても気持ちよさそうですね。 ここにも歌碑がありました。 駐車場のところが梅園になっています。 坂本八幡宮に到着しました。やはり令和効果なのか大勢の参拝客が。 正面から入ってみましょう。太宰府政庁跡の大きさに比べると、驚くほどこじんまりとしています。 本殿もこんな感じ。小さいけれど開けていて気持ちのいい神社です。令和になって整備されたこともありそうですが。 この坂本八幡宮のアトラクションとしては「令和」と書かれた額縁を持って官房長官ごっこができること。 参拝者の方々は楽しそうにこの額縁を持って写真を撮っていました。なお、これを持って「当たらない」と言うとありとあらゆる災いから逃れられる御利益があるかは不明です。 おまもりや御朱印はこちらの社務所で。なお、令和フィーバーで一時期御朱印の受付が中止になったこともあります。初詣シーズンや梅の花の見頃の時期などは混雑が予想されるため、事前にチェックしておいた方がよさそうです。 「令和」を記念する石碑が立てられています。 こちらには大伴旅人の歌碑も。赴任早々に妻を亡くした旅人の心が詠まれています。 なお、帰りは太宰府駅まで戻るよりも15分ほど歩いて西鉄都府楼駅まで行くことをおすすめします。太宰府政庁前まで戻り、政庁通り(県道76号線)を西に向かい、御笠川を超えるとすぐに駅です。博多方面は線路を渡った反対側なので注意。 都府楼駅からは天神駅まで30分程度。乗り換えもなく、各停なので余裕で座れるためこちらを利用した方が便利です。 ということで、「令和」ゆかりの太宰府を巡ってみました。初詣シーズンや梅の花の咲く季節は例年以上の混雑が見込まれるため、十分時間に余裕を見て訪れた方がよさそうです。特に自動車で訪れる場合には駐車場不足や渋滞などが発生することも念頭に入れておきましょう。 【【後編】官房長官ごっこもできる「令和」のルーツ、太宰府の坂本八幡宮を訪れてみました】を全て見る Source:…

  • 【前編】「令和」のルーツとなった現場を見に太宰府を訪れてみました

    今年始まった「令和」が生まれた場所はどんなところなのでしょうか。訪れてみました。 平成が終わり、幕を開けた令和時代。これまでの漢籍を由来としてきた元号とは違い、万葉集の「梅花の歌三十二首并せて序」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」から引用したものであることが明言されています。 この「梅花の歌三十二首并せて序」は太宰府の長官だった大伴旅人が梅花の宴を開いたときに詠まれた32首の歌の序文であり、一説では山上憶良の作とも言われるもの。 梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封?而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以?情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠 (京都大学貴重資料デジタルアーカイブより) 太宰府は古くより中国や朝鮮半島からの玄関口として、大陸から多くの文物が辿り着いた交通の要所でもあります。その太宰府長官が中国からやってきた珍しい梅の花を愛でる宴を開き、古くより漢詩に詠まれてきた梅花の歌を詠もうというのがこの序文の意味ということになります。 「令和」は国書である万葉集を典拠としている事が強調されがちですが、太宰府という地理的にも政治的にも中国文化の影響を色濃く受け、密接な関わりを持っていた場所で生まれたもの。…