感情的と非難されるミコト、小賢しいと叩かれるみくり。「アンナチュラル」と「逃げ恥」の女性像

石原さとみ(左)、新垣結衣

3月に終了したドラマ『アンナチュラル』(TBS系)。法医学のシリアスな世界を描きながらも、日本のジェンダー問題を盛り込み、SNSで話題となった。

脚本を手掛けた野木亜紀子は、2016年に『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)でも、日本のジェンダー問題を描いていた。

大ヒットした2つのドラマに共通する点。そして、そこにある違いとは何なのか?

『逃げ恥』のみくりは「小賢しさ」がコンプレックスだった

『逃げ恥』の主人公・森山みくり(新垣結衣)。高学歴で分析的な彼女は、自分の持つ「小賢しさ」にコンプレックスを感じていた。

◇「高学歴」で「優秀」なことが、みくりの職場では邪魔になる

第1話は、みくりが大学院を出ても希望の就職先につけず、派遣社員として働いているところから始まる。

派遣先の上司の指示が雑だったり、私物のタンブラーの洗い物を頼まれたりしても、「いちいちもめるのも嫌なんでこれくらいは」と明るくふるまい、「そういう不満も含めてのお給料だと思えば頑張れる」と受け入れる。

そんなみくりの姿が、TBSのドキュメンタリー番組『情熱大陸』風の音楽やナレーションで描かれる様子は非常にシニカルに映る。こうした派遣社員の果たす役割は重要だが、『情熱大陸』にとりあげられる人からは遠いからだ。

みくりは、Excelを使って会議資料をさくさくと作り、もう一人の派遣社員にも教えるほど仕事ができた。

それなのに、ある日突然、自分だけが派遣切りにあう。理由は、「どっちかひとり選べ」と言われた上司が、「大学院まで出て優秀」だから、みくりには「うちなんかよりもいいところがある」と判断したからだった。

高学歴が、かえって邪魔とみなされてしまった。みくりは生きていくために就いた職場でそう言われ、行き場をなくしてしまった。

◇波風を立てる「小賢しさ」も、歓迎されなかった

みくりは、かつての彼氏に「お前小賢しいんだよ」「批評ばっかりするな」と言われ、ふられた過去がある。それが、コンプレックスとして描かれていた。

高学歴に加え、「小賢しい」ということも、世間の求める「普通の女の子」として生きていくには邪魔なのだ。

みくりと契約結婚をして同居を始めた津崎平匡(星野源)は、みくりにほかの男の影をみると、すぐに壁を作った。みくりはそれが自尊感情によるものだと分析し、「高校は男子校でしたか?」「合コンに参加したことは?」と聞いてしまう。すると平匡は、「詮索するのも分析するのもやめてください」とますます心の壁を高くしてしまった。

この「小賢しい」という価値観は、みくりの派遣切りにもつながっている。

私自身、派遣社員をしたことがある。高すぎる学歴はなかったが、仕事に対して意欲を見せるよりも、粛々と言われたことをやってくれた方がいい、という視線は感じていた。

「小賢しい」ところを持ち、職場の効率的でない部分や矛盾に疑問を持ったりするよりも、嫌なことがあってもニコニコして波風を立てない人が求められているとも感じた。

◇「好きの搾取」発言で、賛否両論が起きた理由

みくりは「小賢しい」代わりに、「感情的」な人間ではないと描かれていた。平匡との関係性で悩み、余裕がなくなった時には、平匡の同僚の風見から「みくりさんでも感情的になったりするんですね」と言われた。

女の子は、いつも理論武装して分析するよりは、感情的に生きるほうが、「らしい」と思われるのか。

2人がラブラブになった後、平匡の方は、みくりが業務としてやっていた家事について「愛があればなんでもできるだろう」と態度を変えた。

一方、みくりはそれを「好きの搾取」だとこれまた「小賢しく」反論した。

このみくりの態度をどう捉えるか、ネットの反応は大きく分かれた。

みくりの態度に賛同した女性は「小賢しい」チームに入れられる。反対にみくりの態度に疑問を持つ人々は、せっかくみくりが平匡との愛情によって「感情的」な人間になったと思ったのに、また「小賢しい」人に戻ったと批判した。

『アンナチュラル』の世界では、「小賢しさ」は邪魔にならない。その代わりに…

『逃げ恥』の放送が終了してからちょうど1年たった2018年1月、『アンナチュラル』はスタートした。

主人公・三澄ミコト(石原さとみ)の職業は法医解剖医。彼女の環境では、「小賢しさ」や「分析」で偏見を向けられない。しかし、今度は反対に、「感情的」になった途端に「これだから女性は」と偏見の目を向けられた。

◇ミコトは「感情的」になると責められる

第3話。ミコトはある事件の証人として裁判に出廷した。その際、検事から、証人として出廷した法医解剖医が「女性」だったと驚かれた。さらに検事の挑発で感情を見せると、「女性だから」と責められた。

こうした場では、「女性的」という言葉が、だから「論理的ではない」という文脈で使われる。これは、『逃げ恥』で「小賢しく」「感情的でない」女性が推奨されなかったことと表裏一体だ。

「女性的」という言葉をカギカッコ付きで書いたのは、都合よく「女性的」という言葉が使われているからだ。

派遣の職場や家庭では、分析・批評すると「小賢しい」とみなされ、「感情的=女性的」でないと批判される。

しかし、一転して「アンナチュラル」で描かれる、男性中心の職場環境では、みくりがコンプレックスに感じていたような、小賢しく分析したり、批評したりする態度の方が歓迎される。逆に「感情的」な態度を見せると、たちまち「女性的」になったとして責められてしまう。

◇「女性的」というものに、実態はあるのだろうか?

ふたつのドラマを比べてみると、女性が社会から求められていることの難しさがよくわかる。

従順であってほしい場では「女性的」であれと言われ、理路整然として結果を出さないといけない場では「女性的」であってはいけないと言われる。こんな風に使われる「女性的」という言葉には、どうしても疑念を抱いてしまう。

ふたつのドラマでは結果的に、「小賢しい」の呪縛は解かれるし、「感情的」なのは悪いことではなく、女性だけの特徴でもないことが描かれた。

『逃げ恥』と『アンナチュラル』の脚本を書いた野木亜紀子は、こうした女性の苦しみを、ドラマに落とし込むのが非常にうまい。女性に押しつけられている「矛盾」と「理不尽さ」をしなやかに、そしてわかりやすく示してくれる。次の作品では、どんな風にそれを描いてくれるのか。その手腕に期待してしまう。

(文:西森路代 / 編集:生田綾)
Source: http://www.huffingtonpost.jp/feeds/japan/index.xml

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