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May 2017

  • 「しがらみを一旦、全部リセット」 ネット高校"N高"が目指す『ひとりを重んじる教育』とは?

    「これからの学校は、ひとりひとりの生徒がどんなことを求めているか見極めなければいけない」——そう語るのは通信制高校・N高等学校(N高)の奥平博一校長だ。 「ネット時代の理想の高校」を目指す同校は、学校法人「角川ドワンゴ学園」が運営する。同学園は老舗出版社KADOKAWAと「ニコニコ動画」で知られるドワンゴを傘下に持つ「カドカワ」が設立した。 2016年4月に開校されたN高の生徒数は、いまや約3900名に及ぶ。新入生がヘッドマウントディスプレイを装着する入学式の様子は「21世紀の高校」を思わせる。インターネットを通じて、好きな時間に好きな場所で学べるカリキュラムは、プログラミングやスポーツ、音楽活動など、力を注ぎたいものが明確な生徒たちやその保護者から支持を受けている。 一方でN高は、集団生活が苦手な子、引きこもりや不登校など従来の高校に合わない子が持つ潜在的な可能性にも注目しているという。「スクールヒエラルキーがなく、内気な子でも自分のやりたいことが自由にできる。それぞれに居場所があるのがN高の良さ」と語る奥平氏に、従来の学校が抱える課題やN高が目指す理想の学校像を聞いた。 N高の奥平博一校長 「インターネットの発達で、今までのしがらみを全部リセットできる」 ——N高の設立会見で、学園理事の川上量生さん(ドワンゴ会長)は、引きこもりや不登校などの子の中には「落ちこぼれに見えるかもしれないけれど、むしろネットの時代に優れた能力を持ってる人たちもその中には沢山いるでしょう」と語っていました。そういった子たちを受け入れる上で大事にしていることはありますか。              かつて学校は、塀に囲まれて、社会から独立したある種「ユートピア」のような場所でした。世の中の色々な汚いことから隔てて、子供たちを集めて純粋に教育しようという発想があったと思います。昔はそれが社会的に最先端で、学校というのは憧れの場所でもありました。 でも、そういう時代は終わりました。これからの学校は、ひとりひとりの生徒がどんなことを求めているか見極めなければいけない。学校にとって難しい時代です。僕らは学校だからといって、生徒を集めて、集団でひとくくりにすることをやろうと思いません。それが必要だとも思いません。もちろん要所では、生徒が「みんな」で何かをやる場面もありますが、基本は「ひとり」であることを大事にしています。 従来の学校のように1学年の人数枠は決めていませんし、修学旅行や合宿旅行とかもありません。あくまで生徒ひとりひとりが中心です。「ひとり」の生徒が積み上がったものがN高です。ハード面で言えば、場所や時間を選ばずに自分にあったペースでネットを通じて授業を受けられます。でも、これ自体は世の中に他にもあったりしますからね。 生徒と向き合う上でN高が一番大事にしているのが、「ひとりひとりの生徒をしっかり見ていくことが大事だ」という思想を持ちながら、学校という枠組みの中で、ひとりひとりのニーズに合った学びや経験を提供していくという考えです。 川上量生氏は、引きこもりや不登校などの子の可能性に注目 ——引きこもりや不登校といった社会問題は昔からありましたが、20年前にはN高のような学校はありませんでした。今の時代にこういう高校ができた背景や理由があるのでしょうか。 昔はクラスに不登校の子がいると、先生が朝迎えに行って、家にズカズカ入って「何してるんだ!行くぞ!」と、生徒を部屋から引っ張り出して、車に乗せて学校に連れて行った…なんてこともあったようです。友達関係を説得してクラスの子に「あいつの面倒を見てあげて」と依頼することもありました。近所からは「あの子は学校に行かずに、家にずっといるね」という目線もあったと思います。世の中全体として、「学校は行かなければいけない」という強制力が強かったと思います。 でも、いまは社会全体の目が変わったと思います。子供が変わったというよりも、社会の空気が変わった。親の強制力、世の中の強制力というのが和らいできた。「無理して行きたくない学校に行かなくても…」という空気ができつつあると思います。従来の学校が苦手な子供たちは、昔からずっと変わらずにいて、そういった子たちの存在が目立つ一方でN高のような学校を選択しやすい空気になってきたと思います。 そのことを「いい時代になった」という人がいる一方、「世の中の社会的規範や強制力が薄らいできた」という人もいるかもしれません。僕らとしては、あくまで「現実にそういう子供がいる。対応しないとダメじゃないですか?」という視点でいます。子供達には罪はありませんから。 沖縄・伊計島の本校 ——私も学校が苦手で、クラスの空気に馴染めず、無理して馴染もうとして嫌な思いをしたことがあります。小・中・高を問わず、集団生活が苦手な子が学生生活を乗り切るヒントはあるのでしょうか。 人として生きていく力は、みんな絶対に持っていると思うんです。ただ、自分の周りの環境が少し自分に合わなかったり、友人関係で何らかのトラブルがあったりする。必要なのは、一度それをリセットする行為。ゼロに戻してあげることだと思います。 学校では子供が周囲に溶け込めなかったり、いじめにあったり、中には命を落とす悲しい事件があります。それは、「通っている学校」という、極めて狭いエリアで発生してしまう。でも仮に、別の学校に転校したら、その子の生活は変わるかもしれません。インターネットや技術の発達したことで、地域性など今までのしがらみを一旦、全部リセットできます。僕は、それがまず大事なことだと思います。 ご近所付き合いはしなくていいし、集団登校もしなくていい。言い方は悪いかもしれませんが、「もう一度、自分はやり直せるんだ」と思う気持ち、これが大事だと思います。それは「逃げる」ということではありません。だから一旦リセットしてあげる。そのためには、インターネットを通じて全国どこでも勉強できることは合致していると思うんですよね。 時間と場所を選ばず学べる、それが「ネット授業の強み」だという 趣味の話でもそうです。中学校の学区域のような狭いエリアだったら、「自分はアニメが好きなんだ」と言っても、周りに理解をしてくれる人がいないかもしれない。でも、全国規模でみれば、同じアニメが好きな子は絶対にいますよ。 ——昔は茶の間のテレビで、家族揃って同じ番組を見ることもありましたが、今はひとりひとりがパソコンやスマートフォンを持つ時代です。手元の画面で、自分の好きなコンテンツを楽しめるようになりました。 N高にはたくさんの「同好会」があります。そこで、自分と同じものが好きな人と仲良くなれる。好きなものを「好きだ」と言える、それが自分の居場所にもなりますよね。 自分の居場所ができれば、自分という存在を見つめ直すこともできると思います。「これだったらやれる」「これなら人に負けないんだ」という何かを見つけ出せれば、自分に自信がつくきっかになるかもしれません。自分なりの自信が持てたら、世の中にも出ていけると思うんです。 「環境が合わなければ、違う環境に移ったほうが良い」 ——私自身も経験がありますが、子供にしてみれば自分がいる半径500mが「世界の全て」だと思ってしまう。その環境が自分と合わないのは辛いですよね。 いじめで本当に悲しい事件ってあるじゃないですか。中には「戦え」という人もいるかもしれませんが、戦って解決できたらいいけれども、僕はそんなことより、違う環境に移ったほうが良いと思います。 ——「逃げずに向き合え、戦え」という論がありますけれど、「逃げるのも勇気」だと。 その通りだと思います。むしろ、決して「逃げる」というレベルではありません。もう一度自分にチャンスを与えてあげる。大人じゃなく、まだ10代じゃないですか。いくらでもチャンスは与えてあげるべきだと僕は思います。…

  • How Did This Happen?

    For those of us lucky to be awake Tuesday night, for the semi-frequent late-night Twitter outburst from President Donald Trump, we received the gift of “covfefe.” Yes, Trump’s attempt to type the…

  • AVタレント2人に輸入ピル飲ませる 事務所が処方箋なく、違法の疑い

    AV事務所、所属の未成年2人に輸入ピル 法抵触の疑い  アダルトビデオ(AV)出演をめぐり、東京都内のプロダクションが、所属していた当時未成年の女性2人に外国から輸入した低用量ピル(経口避妊薬)を飲ませていたと、女性が朝日新聞の取材に証言した。ピルは医師の処方箋(せん)が必要な医薬品で、医薬品医療機器法(旧薬事法)に抵触する可能性がある。女性たちは、撮影を通じて性病になった際に外国産の薬で処置された、とも証言している。  プロダクション社長は朝日新聞の取材に「ピルはネットで個人輸入したもの。欲しいと言われたので渡した」と話した。法に触れる可能性があることの認識については「全然なかった。よかれと思って(あげた)」としている。  女性は関東在住の学生(20)と社会人(19)。それぞれ別々にプロダクションと接点を持ち、社長から昨年、「胸が大きくなる」「肌もきれいに」などと言われ、ピルを勧められたという。飲み始めてから2人とも数日間、不正出血を起こした。学生がマネジャー役にLINEで問い合わせると「気にせず飲み続けてもらえれば大丈夫!」と返信があり、体調が良くないと訴えても「慣れたら副作用少ないよ!」と言われたという。  ウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック院長で産婦人科医の対馬ルリ子さんは「医師の診察を経て処方し、使用後も不正出血や体調不良の理由の説明を受けられてこそ、ピルは安全、安心に使用できる。無知につけ込むやり方で、女性の健康の権利を侵害している」と指摘する。 (朝日新聞デジタル 2017年06月01日 03時27分) 関連ニュース モデルと偽り、AVに女子高生を勧誘した疑い 男を逮捕 AV出演強要、被害者の告白が官邸の中枢を動かした 別れた娘へ、刑期を終えて押した「友達になる」ボタン 中2で覚えたシンナー、姿消した両親 15年分の話と涙 望まぬ妊娠、おなかにバッグ落とし… でも育てると決意 (朝日新聞社提供) Source: http://www.huffingtonpost.jp/feeds/japan/index.xml…

  • 孤独は、死の恐怖だった。でも、今は言える「#だからひとりが好き」

    ハフポストの新しい企画「#だからひとりが好き」は、ひとりという選択を肯定したいという思いで始まった。 しかし私は、この言葉は、もしかしたら誰かを傷つけるメッセージかもしれないという恐れも抱いている。 だって、かつての自分を振り返ってみると、「ひとりが好き」というメッセージは、限られた人にしか発することができない言葉のようにも思えるからだ。 それは、中学生だった頃の私には決して口に出せない言葉だった。 孤独は死の恐怖だった、あの頃 私は中学生のとき、学校に行っていなかった時期がある。 当時の私にとって、孤独は本当に怖かった。 最終的に転校が決まるまでの1年間、多くの時間を家で過ごし、とにかく本ばかり読む生活を送っていた。いま自分がいるところから、なるべく遠い遠い世界に没入しようと必死だったのを覚えている。 あの時、「こんなに嫌な思いをしてまで、学校に通う必要はない」と決めたのは自分だった。でも、学校というヒエラルキーの外の世界で生きたことがない13歳にとって、それはとても大きな決断だ。 それは、縹渺(ひょうびょう)たる不安と絶望の中に身を投げたも同じ。中学校という狭い世界を出て、ひとりになった瞬間、私と社会をつなげるものが何もなくなってしまったように感じた。 今まで築いたいろいろなつながりから、自分の存在がなかったことにされる痛みに身を切られながら過ごした1年間。私だけが、どこか深い水の底に沈んで取り残されてしまったみたいだった。 「このままずっとひとりぼっちなんじゃないか」とひとり恐れる一方で、もう外に踏み出していく勇気も持てない。本当に、孤独との戦いだった。 もちろん、今思い返すと、現実はそこまで絶望的ではなかった。 私にも、本当は、学校の外の世界がちゃんとあって、心配してくれる家族も周りの人たちも大勢いた。その人たちが当時支えてくれたからこそ、今また自分は、社会の中にいてもいいんだと思えている。 でも、その渦中にいるときはそんな余裕もない。ただひたすらに、自分が社会そのものから脱落してしまったのだと思い込んでいた。 そうやって「自分は本当に孤独だ」と感じてしまっている時、たぶん人は「ひとりが好き」なんて口にすることはできない。 本当は孤独が辛いのに「ひとりが好き」と言ってしまったら、自分の存在を誰かに認めてもらうのすら諦めることになるからだ。 「人はひとりでは生きていけない」とはよく言われている。でも、実際にそうであるなら、自分が完全に孤立した状態を受け入れることは、それはすなわち死だ。 どんなにひとりが好きだろうと、誰もが誰かの力を借りて生きているのは本当だし、だからこそ、「ひとりが怖くない」と言えるのは「本当は孤独じゃない」ことの裏返しだと私は学んだ。 大学生になった今の私は、もう違う。ひとりで過ごすのはまったく怖くないし、ラーメンも旅行もディズニーも、一人でどこにだって行ける。 それは、今の私には、待っててくれている家族や理解してくれる友達がいると知っているからだ。 もしかしたら周りから「ぼっち」とか「根暗」とか思われているかもしれないけれど、それも全然気にかけていない。孤独を味わったからこそ、私を支えてくれる人はちゃんといるんだと知ることができた。 パリピが「つながり」を求めるのは、リアルな「人との関わり」を感じたいから? でも、だからといって「パリピ」や「ウェイ」と呼ばれるような人たちが、自分と正反対の存在だとも私は感じない。 彼らのように”誰かと一緒にいること”に至上の価値を置いている人たちは、むしろ、かつての私のように孤独だからなのかもしれないと思う。 あまり考えたくないけれど、それは、機械化が進んだことで、徐々に「人とのつながり」が手の届きにくいものになっていることとも関係しているのではないだろうか。 自分にぴったりのファッションアイテムを探すのも、今ではお店にいって店員さんとやりとりするよりもネットで検索する方がよほど安上がりなことが多い。 友達と会話をするのだって、「リアル」のコミュニティに属していたら、時間や交通費やカフェ代をかけないといけないけれど、Twitter上だったら、そんなことをしなくても同じ話で十分盛り上がれる。 インターネットを介すことによって、人付き合いにかかるコストが減るケースは、格段に増えているのではないか。 また、同じSNSでも、会話をメインにしたTwitterに対して、写真などがメインのFacebookやInstagramには、「リアル」で誰かと一緒に行動しているライフイベントがあふれている。 そんな投稿をしている彼ら、いわゆる”パリピ”や”リア充”たちが「見せびらかしている」というやっかみの視線に晒されながらもそれを続けるのは、リアルな「人との関わり」が貴重なものになっていることの裏返しなのではないだろうか? 以前のように、それが当たり前のものだったら、わざわざ投稿することもきっとないからだ。…

  • 僕は学校が大嫌いだった。日本人は「みんな明るく元気よく」の呪縛に囚われている

    僕は学校が嫌いだった 僕は学校が嫌いだった。小学校も中学校も高校も、みんな大嫌いだった。 僕が通っていた小学校の教育目標には、「みんな明るく元気よく」といった言葉が並んでいた。僕にはこれがどうしても許せなかった。 小学校の同級生に、とても内気な女の子がいた。名前は「ゆりちゃん」。丸い眼鏡をかけ、ショートカットが似合う子だった。 休み時間にはいつも自分の席で本を読み、おしゃべりが苦手で、給食もひとりで静かに黙々と食べているような子だった。 ゆりちゃんは学校でいつも「ひとり」だった。周囲とうまくコミュニケーションが取れず、”明るく元気な”クラスの中心的な子からは煙たがられているようだった。国語の時間に先生から教科書を読むように言われると、顔を赤くしながら、か細い声で朗読していた。時には先生が「もっと大きな声で!」と、イライラすることもあった。 世間一般でみたら、ゆりちゃんは決して明るくない「おとなしい子」だったと思う。人によっては「暗い子」「陰気な子」と思うかもしれない。 でも、そんなことはなかった。ゆりちゃんは、人より内気で、感情表現が苦手なだけ。「みんな」といるよりも「ひとり」でいることが好きな子だった。 人見知りのゆりちゃんも、仲良くなると意外におしゃべりだということがわかった。 大好きな本の話、大好きなお菓子の話、大好きな「たまごっち」の話…。1対1で話すと、たくさんの「大好き」が溢れた。決して「暗い子」でも「陰気な子」でもなかった。そんなゆりちゃんのことが、僕は好きだったのだと思う。 「みんな明るく元気よく」という言葉は、ゆりちゃんのような存在を否定するものではないか。そう思うと、僕は小学校という存在がどうしても好きになれなかった。やがて、ゆりちゃんは転校していった。 恐怖のスクールカースト、苦痛だらけの学校行事 遠足はずっと苦手だった。ピースサインをしているが、顔は笑っていない。 年月は流れ、僕は中学、高校へと進んだ。同学年には集団行動が苦手な子や、内気な子がいた。かたや明るくて、カッコよくて、スポーツが得意で、女の子にモテモテで、目立つグループもいた。いわゆる「スクールカースト」があった。 スクールカーストの上位層が作り出すクラスの空気は、僕にはどうも合わなかった。当初は、明るく楽しい目立ちたがりキャラを演じてみたが、空回りするばかり。むしろ浮いてしまった。クラスになじめず、嫌な思いをしたこともたくさんあった。特に、集団行動を強いられる学校行事が何よりも苦痛だった。 例えば修学旅行。班行動だったため、行きたい場所は班のメンバーで決めた。無論、自分が行きたい場所に行けるとは限らない。大して興味のない場所でも「あぁ、僕も行きたいと思っていたんだ」と当たり障りのないことを言って、その場を乗り切った。当時の写真なんて一枚も残っていない。 全員参加の「運動会」や「球技大会」は、当日の朝に吐き気が出るくらい嫌だった。ああいうのは体育会系の部活をしている人だけが楽しめる行事だ。試合前に「みんなで一緒に頑張ろうぜ!」と無理やり円陣を組んだりするくせに、いざ僕のような運動音痴が入って、ミスをして負けると、「お前のせいだ」という目を向けてくる。だったらはじめから有志参加にすればいいじゃないか。 クラスで作った揃いのTシャツも大嫌いだった。なにが「団結力の証」だ。ひとりひとりの個性を殺す「死亡証明書」みたいなものじゃないか。袖に刺繍されたニックネームで呼ばれたことなんて、一度もなかった。 中学校の入学式。口が「への字」に。嫌がっている様子が見て取れる。 「ひとり」より「みんな」が重んじられ、「みんな明るく」が求められる。それが学校という場所だった。「ひとり」でいることが好きで、集団行動が苦手な僕にとって、「学校」はまさに「心の監獄」だった。なるべく波風立てず、学校生活を乗り切りたい…中学でも高校でも、卒業式の日を指折り数えた。 出来は良くなかったけど、僕は決して学校の勉強が嫌いだったわけではない。私が嫌いだったのは、「みんな」という言葉を免罪符に、「ひとり」の犠牲を強いる学校のシステムだ。 運動会、学芸会、文化祭、修学旅行、合唱コンクール、球技大会…学校生活には「みんな」で頑張って、協力することが求められる場面が数多くある。もちろん、そこで活躍する子もいるだろう。仲間意識を持って頑張ったことが、良い思い出になるかもしれない。それはそれで否定しない。 でも、楽しんでいる「みんな」の陰には、声を上げられずもがいている「ひとり」がいるかもしれないことを、どうか忘れないでほしい。 「内向的」という個性、「ひとり」という選択肢 一人っ子だったこともあり、小さな頃から「ひとり」が好きだった。 21世紀の今、「毎日、学校に通わないといけない」「みんなで一緒に授業を受ける」という前提が、もはや時代遅れになっているのかもしれない。 ここ数年で社会では働きかたが多様化しつつあり、自宅で仕事をする「リモートワーク」制度を取り入れる企業も出てきた。「雇われない働きかた」も脚光を浴び、国内でフリーランスとして働いている人は1122万人に及ぶという統計もある。 働きかたの多様化が進むのであれば、学びかたも多様化して良いはずだ。 東京都には、既存の学区域を超えて通う公立小中学校が選べる「学校選択制」を導入する自治体がある。中には小・中学校を自由に選べる「自由選択制」を導入しているところもある。義務教育の学校でさえ、「決められた学校」ではなく「行きたい学校」に通える時代になりつつある。 ひとりひとりのニーズに合わせた学校生活のスタイルがあっても良いだろう。近い将来、小学校も中学校も、通学して勉強するか、自宅で勉強するか好きに選べる時代が来るかもしれない。部活の場合は午後から学校に行けばいいし、修学旅行も、運動会も、参加したい人が参加すれば良い。実際に高校では、ネットを通して授業をうけられる通信制高校がある。 小・中学校にそこまで求めるのは難しいかもしれない。それでもせめて、「みんな明るく元気に」といった、人間の多様性を否定しかねない教育目標は一刻も早く闇に葬って欲しい。 ネット通販大手「Amazon」の創業者ジェフ・ベゾス氏は、会議の冒頭に参加者が静かに資料を読む時間を設けているという。アメリカのビジネス界では、「内向的な人の働きかた」「一人で黙々とする作業」を再評価する「Quiet…