誰かのためになにかしたい。不登校から高校生社長へ。

はじめまして。これからハフィントンポストで記事を書かせていただきます。小幡和輝と申します。和歌山県出身で、いまも和歌山県に住んでます。和歌山が大好きで、和歌山をもっと盛り上げたいと思い、高校3年生のときに起業しました。そのときは「高校生社長」なんて呼ばれてました。

事業内容としては和歌山の新しい名産品開発に関わったり、イベントを企画したり、観光プロモーションに関わったり、ざっくり言うと広告代理店のような仕事をしています。

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自己紹介ということで、活動を始めたきっかけを書こうと思うのですがその前に。

いきなりですけど、みなさんは自分の名前の意味ってご存知ですか?

僕の名前、「和歌山を輝かせる」と書いて「和輝 かずき」なんです。

これは活動を始めたから気がついたので、後付けなんですが(笑)

この名前を付けてくれた親に感謝しています。この自己紹介はいつも鉄板ネタです。

ちなみに親は「和歌山で輝く人になってほしい。」や「和の中で輝く。つまり集団の中で輝く人になってほしい。」という意味でつけてくれたそうです。

僕は周りになにかしたいなと思ったので、「和歌山を輝かせる」と書いて「和輝」です。ということにしています。

僕の名前と、どんな人なのかがざっくりわかったところで、活動を始めたきっかけというか、昔の自分の話をしたいと思います。

これ、僕です。

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僕は15歳まで引きこもりでした。あまり記憶がないんですが、幼稚園のはじめからちょいちょい休んでいて、小学校2年生の中間くらいまではそんな感じ。

その後は中学3年生までほとんど行ってません。なので、ざっくり10年ほど不登校を経験しました。

学校に行っていない間はずっとゲームをしていました。1日10時間以上。おそらく、3万時間はゲームをしたと思います。

僕にはいとこがいるんですが、いとこもあまり学校に行ってなくて、2人でずっとゲームをしていました。

ちなみに1日10時間以上だと、普通にプレイしてると、どんなゲームでも1週間とかでクリアしちゃうんですね。

でも、新しいゲームは年間2〜3本しか買ってもらえないから、1つのゲームに100日くらい時間をかけないといけなくて、いかに同じゲームを長く続けるか、ということを考えていました。

『モンスターハンター』だったら、武器も防具も初期装備の状態で、一番難しいクエストに挑戦するとか、『ドラゴンクエスト』だったら、全滅したらデータを消すとか、そういう「縛り」をつけて遊んでました(笑)。

あとは、ゲームの中で勝手にルールを作って遊んだりとか。「大乱闘」は鬼ごっこ的に遊んでました。攻撃がヒットしたらタッチした扱いになる感じです。

そんな感じで家でずっとゲームしていたんですが、夜間高校に行き始めたんです。

嫌だったんですけど、いとこが夜間高校に行きだしたりとか、僕が学校に行ってない間、いろいろ心配してくれた先生がその学校にいたりだとか、そもそも家の目の前にあったとか、いろいろ理由が重なっていくことにしました。

最初は本当に嫌で。。教室に入ったらじんましんがでてくるみたいな感じです。

でも、その中で出会った人たちに支えてもらいながら、少しだけ人と関われるようになりました。

そして、大きなきっかけが訪れます。

僕が高校2年生になったときにたまたま出会った1つ年上の高校生がそれはまぁスーパー高校生で。学校に行って、部活をやって、生徒会をやって、アルバイトをやって、その上で音楽が好きだからバンドを組んでライブしちゃうみたいな。

そんな高校生に出会って衝撃を受けたと同時に悔しくなりました。

「なんでこんなに違うんだろう。」

彼と出会って、僕は人生が大きく変わりました。それから1年くらいはその高校生の手伝いをするようになって、高校3年生のときに今度は自分でなにかやってみたいと思うようになりました。

ちなみにBefore After はこんな感じです。笑

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「自分は人に変えてもらったから、今度は自分が誰かのためになにかしたい。」

そんな想いが出てきたときに、また1つきっかけがありました。

和歌山県外でご飯を食べていて、お寿司屋さんに行ったんですね。

「そういえば、醤油っていつからあるんやろう?」

誰かがこんなことを言いました。

実は僕が生まれた湯浅町は醤油発祥の町なんです。しかも僕の家から歩いて行けるところに創業何百年みたいな醤油屋さんがあるんです。

「僕の近所で発祥したよ。」当然のように僕はいいましたが、みんなはめちゃくちゃ驚いていました。

それが単純に嬉しかったんですよね。それと同時に、僕も含めて、和歌山の同世代が和歌山のこと全然知らないやん!という焦りと危機感が生まれました。

それを高校の先生に相談したんです。そしたら意外なことが判明しました。

その先生は大学時代に東日本大震災の復興支援団体を立ち上げた人でした。しかも、「来週、そのときの仲間と集まるよ。」とのこと。

それは行くしかないと思いました(笑)一緒について行かせてもらい、たくさんの人と出会いました。

その中で和歌山のまちづくりに関わる方がいて、そのままその人がいる団体の会議にも見学に行かせてもらいました。

もうそれがとにかく衝撃的だったんです。それまでの僕のイメージでは、まちおこしは行政の仕事だと思っていました。

でもそこには自分たちのまちが大好きで、自分たちのまちを自分たちで盛り上げていこう!というかっこいい社会人がいっぱいいて、めちゃくちゃ憧れました。

ただですね。そのときに思ったのが、高校生はもちろん大学生もいないし、20代すらいないんです。僕の次が30前半くらいで、40代,50代の人がめちゃくちゃ頑張っている。これはダメだろうと思いました。

もっと若者も頑張らないとダメだ!という使命感と、「自分は人に変えてもらったから、今度は自分が誰かのためになにかがしたい。」という秘めていた想いが交差する感覚でした。

そして、ふと自分の名前をよく見ると「和歌山を輝かせる!で和輝じゃん!」これは運命だと。ゲーム的にいうとこれまでの人生がすべて伏線じゃないかと思いました。笑

それが大きな原動力になって、現在まで続いています。

一番最初にやったことは「和歌山の魅力を発掘しよう!」という高校生に向けたワークショップイベントです。

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自分なりにやりたい想いを高校の先生や市役所の方が形にしてくれました。しかも、開催資金は和歌山市から補助金をつけてもらえることになりました。本当に嬉しかったです。

それと同時に、これをもっと本気で一生やり続けたいと思いました。そのためには今からチャレンジしないとダメだと思い、会社を作ったのが高校3年生のとき。「高校生社長」と呼ばれるようになりました。

それから現在に至ります。

最近ようやく仕事になってきました。

起業したときから僕の想いはずっと変わっていなくて、和歌山に住んでいる人が、もっと和歌山を好きになって、1人1人が自分のまちに誇りを持つ。そのきっかけ作りをしたいと思っています。

もう少し僕がやっていることを具体的に書きたいと思っていたのですが、ちょっと長くなってしまったので、それは改めて。

それではこれからよろしくお願い致します。

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Source: http://www.huffingtonpost.jp/feeds/japan/index.xml

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